等々力京子のサブカル料理ブログ〜私の歯が変わるまで〜

ガサツな料理レシピブログを書きつつ、本や映画など見たものを綴っていましたが、しばらく放置しておりました。が、長年コンプレックスであった出っ歯を解消すべく30代で思いきって外科手術付きの歯列矯正を開始。せっかくなので恐怖や不安、様々な感情と共に記録してみることに。(2017.02〜矯正歯科通院スタート)

【歯列矯正】矯正を始める前に〜エピソード〜

「ドッパッピーナッツ」

 

それは耳馴染みのない言葉だった。

幼い頃、近所の年上のガキンチョが突然私に向かってそう叫んだのだ。

言葉の正体を想像したがそんなものはこの世におそらく存在しておらず、きっとピーナッツそのものとは関係が無く、この「響き」だけをガキンチョは私を見て思いついたのだろう。それが妙にしっくりきたので今でも記憶に残っている。

 

物心ついた時から、自分は人より出っ歯で笑うと歯茎が出ていることに気づき、これはやばいと思った。口を閉じれと何度言われても、力が入り閉じることが猛烈に苦しかった。

ある時には、どうしてこんな顔に産んだんだと泣き叫んで母に訴えたこともある。

「二人目なもんで気が緩んで産んでしまったんよ…」

母はそう言いながら笑いをこらえていた。

 

歯医者に行く度に「おたくのお子さんは矯正をした方がいい」と言われ続けるので、

ついに中学2年だか3年だかに矯正をすることにした。

 

ある時、友達と市民プールに行こうという話になった。物心つき始めるこの年代は、人の目線に敏感になってくる。

やれスカートが短い、態度が生意気などの理由からすぐさま女子の先輩は呼び出すことが好きだ。山しかない田舎では他に夢中になれるものもなく、他人に牙を向けることでしか自己を確立できないのだろう。

自分も特に先輩にはよく思われていなかったので、スクール水着を着てプールではしゃいでるところでも見られてしまえば一生の恥…生きていけない。危険を予測してあえて隣町のプールに行った。

 

誰も会うことはないであろう隣町の大きな温水プール。無邪気に鬼ごっこをしていたのだけど、あまりにも楽し過ぎて現実を忘れていた。

 

後ろを振り向くと、すぐそこに鬼役のボンちゃん。このままでは捕まってしまう、泳いで逃げねばとプールに飛び込んだ。しかし、飛び込んだ先が子供用プールであり、あまりの楽しさに私は笑って飛び込んでいたため、その勢いでプールの底に前歯がぶちあたって神経まで折れてしまった。

息をすれば神経に響くほどの激痛で耐えられず、母に病院に連れられていった。

 

結果、前歯2本をセラミックにして引っ込める形にできますので、と言われ多額の金額がかかったので歯列矯正の話は消えてしまった。出っ歯は治っていない。

 

大人になっても自分で払う余裕もなかったけど、32歳の時にようやく人並みのお金で生活できそうになったので、一念発起。両親にも話をして歯列矯正をした。

しかも、学生の頃耳にしていたのだが、顎関節症など歯列矯正だけでは治らないものは、診察経過によっては外科手術込みで保険適用されるものがあるのだとか。

年々、口は閉じれないどころか歯茎が下がっているような感じと、顎のガリガリする音にも悩まされていたので、おそらく自分は外科手術をしないと治らない類なのでは、と踏んでいた。

それと、もう一つ。自分の年齢が不安にさせていた。歯列矯正をして外科手術になったとして手術までにおそらく数年かかる。でも、ひょっとしたら35歳までに終わるのでは。どちらにせよ今は結婚も妊娠をする予定もないのであれば、今しかチャンスはない。その後何か待ち受けているかもしれない。自分に自信をつけるためにも今やってやろう、そう決めた。

 

まずは外科手術と提携して保険適用でやってくれる歯医者をきちんと選ぼう、そう決めて、仕事終わりや休日に歯医者巡りの旅が始まり、一番納得できる矯正歯科を見つけることができた。